天橋立を見る絶景スポットとして、天橋立傘松公園から見る「昇龍観」、与謝野町の大内峠から見る「横一文字」、ビューランドからの「飛龍観」、東の栗田峠から望む「雪舟観」があり、それぞれ見る場所によって違う趣があります。
日本三景としての天橋立は、林羅山の子である林春斎が、1643年に『日本国事跡考』において、松島、宮島、天橋立を「三処の奇観」として紹介したのが始まりで、『養生訓』でも有名な貝原益軒が、1689年に『己巳紀行(きしきこう)』において、「日本の三景」という言葉を初めて用いたとされています。
貝原益軒が日本三景という言葉を用いた『己巳紀行』には、「・・・そして府中から成相寺へ登ることになり、その坂の途中で、此坂中より天橋立、切戸の文珠、橋立東西の与謝の海、阿蘇の海目下に在て、其景言語ヲ絶ス、日本の三景の一とするも宜也、・・・」とあり、傘松公園のある府中地区からの景観をもって、日本の三景の一としたことが文献に残っています。
天橋立展望所の中でも傘松公園からの景観は、古くから多くの観光客を楽しませてきました。
古くからの名勝地として有名な天橋立傘松公園からの景観は、多くの観光客を楽しませる中で、新しい楽しみ方を生み出したと考えられています。
天橋立の一筋の松並木が、宮津湾と阿蘇海を分けた景観は天に架かる橋のようにも見えます。また、空に浮かんだ雲が海面に写った景観を逆さに見ると、空と海とが逆転し、まさに天に架かる橋のように見えることから、「股のぞき」という逆さに景観を楽しむ方法が発明されたのでしょう。
着物で股のぞきをする貴重な写真も残っています。
傘松公園への観光客の増加に伴い、鉄道敷設の機運が高まり、成相電気鉄道が昭和2年開通し運行されましたが、戦時中の鉄・レールの供出により、一旦事業を終了しました。現在の天橋立ケーブルカーの前身となる会社です。